ゆるーく映画考察日記☺︎

訪問ありがとうございます!社会人1年目、somariと申します。趣味の映画をゆるーく考察してみたいなーと思っています!よろしくお願い致します☺︎

ジョーカー【ネタバレ考察】~喜劇なんて主観さ~

人は主観で生きている。


善も悪も結局はその人の主観でしかない。

そして、人は主観から離れることはできない。



さて、一気に社会派になりました!笑

ジョーカー鑑賞後、
なんやかんや考えた結果が冒頭の文章。


いろーんな考察は、
すでに思慮深い方々が本当に素晴らしく解説してくれていますので

ここでは私の趣味を書かせて頂きます!!

私、大学は社会系というか、
そんなところを出ておりまして。

人間とは、社会とは。
みたいなことを考えるのが趣味なのです。

そんなことは置いといて本題へ…笑


さて今回は!

完全に本編の内容に触れまくります!

まだジョーカーをご覧になっていない方は、 本編を観てから遊びに来て頂けると嬉しいです☺︎



ジョーカの主張

冒頭でも述べたように、

人はみんな主観で生きています。


前回の記事にも書きましたが、

私はこの映画を『喜劇』として捉えています。

良ければ以下も覗いてみてください!
somari104.hatenablog.com  
これもただの私の主観


ジョーカーは劇中、

こんなセリフを言っています。


喜劇なんて主観さ。


笑えるか笑えないかは自分で決めるんだ。


このセリフには納得させられてしまいました。

アーサー、よく頑張ってきたよ。


たくさんの人たちの主観に潰されてきたんだね。

ついにしがらみから解放されて
本当に笑えることを見つけたんだね。


と。


冷静になって考えると


これってすごく怖いなーと。



だって、
一般的な悪を肯定してる。


頑張って来た彼は、報われていいんだ。


これで良かったんだ。


と。


でも彼は人を殺しています。

サラリーマン3人、同僚、母親、もしかしたら他にも…



また、

主観は状況によって変わったりします。


ジョーカーが言っていたように、


アーサーのような人が道で倒れていても、
見向きもしないかもしれない。


でも、


アーサーが殺したエリート社員たちは、
ウェィンさんが悲しんでくれた。


人の主観は脆くて、残酷なのかもしれない。


ジョーカーの『笑える』ことと同じように…


社会の正義は主観?客観?

ジョーカーは

自分の主観に従って生きる

と決めました。


極端だなぁ。
とは思いますが、


これは簡潔でわかりやすい。


多くの人はこんなことをしないし、


自分は客観的にものを見れると信じています。


でも
それは本当でしょうか?


客観的に物事を見る、ということは、

他の人の目で見なければいけない。


それって何通りもあるし、

自分以外の人間になれる人なんていない。


これは客観ではなく、


『主観的な客観』なのではないでしょうか。


その例として、

マレーとジョーカーのやり取りをあげさせて頂きます。


これまでの不満をぶちまけたジョーカーに、

マレーは

自分を哀れんで

殺しの理屈を並べているつもりか?


と説教をします。


はい、ごもっとも笑


しかしこれは、
世間一般の意見。

『社会の多数派の主観』
と言えるのではないでしょうか。


このように、


社会的にとされることも


結局は主観的な客観でしかない。


また、マレーの


だからって人を殺していいのか?

という質問に対し、

ジョーカーは"No"と言っている。


殺しを肯定している訳ではないのである。


彼は本気で殺しを

『笑えること』『ジョーク』だと信じている。


そんな相手に
大多数の主観をぶつけたところで理解されない。


そしてマレーは、

ジョーカーの『笑えるジョーク』の材料として

殺されてしまった。


そんなふうに考えました。


喜劇なんて主観だ

なんかちょっと暗くなっちゃったなー。笑


ただジョーカーは、

こういうことも伝えてくれてるのではないかなって。


みんな、
主観だけで生きるのは怖いんだよ。


ジョーカーの『笑えること』も、

マレーの『笑えること』も、


多数か少数かっていうだけの違い。


どっちも『主観』でしかないんだ。

人は『主観』から逃れられないんだ。

そのことを自覚して、

生きていってくれよな!


みたいな。笑


皆さんの人生は
悲劇ですか?喜劇ですか?


なんちゃって☺